木村の原点。それはバイク事故 ~下肢切断~
10数年前、私はバイク事故に遭い、
バイクの後輪に右下腿が巻き込まれ、路肩に投げ出された瞬間、
痛みは一時的に消えていました。
しかしそれは「治った」からではなく、
体温は下がり、全身に力が入らず、身動きが取れない。
震えながら自分の足に目を向けたとき、そこには 「あり得ない方向に曲がった足」 がありました。
その瞬間、再び激痛が戻り、
「このまま切断になるかもしれない」
救急車で搬送されるまで約1時間。
受け入れ先の病院が見つからず、車内で聞こえてきたのは
「今は満床で無理です」という現実的で、
ようやく搬送された病院で緊急手術。
手術後、担当医から告げられた診断名は以下の通りです。
右下腿開放性両骨粉砕骨折
右下腿両骨部分欠損・筋組織欠損
複数箇所の骨折および不全断裂
細菌感染あり、創外固定にて経過観察
私はただ一つのことだけを繰り返し尋ねました。
「いつ歩けますか?」
「いつ治りますか?」
しかし、返ってきたのは明確な答えではありませんでした。
後に知ったことですが、主治医は家族にこう伝えていたそうです。
「最悪の場合、膝下からの切断を考えておいてください」
投げ出された“2つの右脚”は、細菌感染が進んでいるため、すぐに手術することができなかったらしいのです。
寝たきりの生活で知った「当たり前」の重み
私の闘病生活は、24時間すべてベッドの上。
食事も、排泄も、すべて仰向けのまま。
夜になると、理由もなく涙が流れました。
声を出すわけでもなく、ただ頬を伝う涙。
約2週間、眠れない夜が続きました。
ある朝、ナースの動きが慌ただしくなりました。
「体温、ぎりぎりですね」
「今日、手術できます」
なぜか細菌がすべて死滅したのです。
「奇跡やね」と言われたその瞬間、
私の中で 「また歩けるかもしれない」 という希望が一気に戻りました。
初めて立った日、初めて歩いた日なんて当たり前すぎて覚えていません。
一か月以上の寝たきり生活を経て、
車いす移動、松葉づえ歩行が許可されました。
初めて一人でトイレに行けた日。
初めて「自分の意志で移動できた」日。
立つ。座る。立ち上がる。歩く。
それまで何とも思っていなかった動作が、
これほど感動的で、
「歩けるという当たり前は、
本当は、かけがえのない幸せだった」
この気づきこそが、私の人生観と治療観の原点です。
リハビリへの疑問、そして「自分で治す」という決意
リハビリが始まると、私は次第に疑問を持つようになりました。
・内容が薄い
・担当者によって質が違う
・休みになるとリハビリ自体がなくなる
そして、ある日の装具歩行訓練。
激痛で立つことすら困難な私に向けて放たれた一言。
「何びびってんねん。もっと体重のせろ」
この瞬間、私は決めました。
「他人任せではなく、自分で治す」
医学書を読み、身体の反応を記録し、
治ったあとの自分を何度もイメージしながら、
空き時間があればひたすら訓練を続けました。
すると、身体は少しずつ、確実に応えてくれました。
医療の道へ進むと決めた理由
この経験を通して、私は確信しました。
痛みは、必ず克服できる
身体には、本来「変わる力」が備わっている
そして、心は決して壊れない
「自分なら、怪我をした人の痛みがわかる」
「自分なら、回復していく過程を伝えられる」
そう思った私は、柔道整復師を志し、
やがて 西院FREE整骨院 を開業しました。
整骨院としての原点と使命
FREE整骨院は、
ただ痛みを和らげる場所ではありません。
原因を見極め、
自分の身体を感じ、
本来備わっている「治る力」を取り戻す場所です。
長年の痛みに悩む方
他院で改善しなかった方
後遺症に不安を抱える方
そうした方々が、再び一歩を踏み出す場所でありたい。
それが、私の使命です。
これからも、あなたの人生に寄り添う治療家として
もし、あの事故がなければ。
もし、あの苦しみがなければ。
西院FREE整骨院は、存在していなかったかもしれません。
10月は、私にとって
「原点」と「感謝」を思い出す月です。
これからも私は、
あなたの身体と、人生に寄り添い、
全力でサポートし続けます。
プロフィール
木村 丈高(きむら たけたか)
西院FREE整骨院 院長/柔道整復師
重度の交通事故による後遺症を、自らのリハビリで克服。
その経験から「感覚の回復こそが本質的な治療である」と確信し、
徒手療法を核とした根本改善を追求。
マニュアルや機械に頼らず、
一人ひとりの身体と真正面から向き合い、
卒業(治癒)まで責任を持つ治療を信条としている。







